三瓶理論 骨と呼吸で生み出す身体操作

筋力に主をおいた稽古とは別の角度から強さを追求し続けている三瓶啓二師範。

それは年齢に関係なく、自分を高めていくことができるものだという。

三瓶師範が追い求める空手とは何か。

Text & Photos/人見武士 

新極真会 空手LIFE 2011.Feb No43 2月号から抜粋

■金槌の理論

 金槌で叩く時、どの部分を握れば少ない力で大きな効果が出るのか、

これは誰でもわかることだと思います。頭の近くを握るよりも、離れたところを

握ったほうが力は出やすい。これを突きや蹴りに当てはめて考えると、

・突きの場合は肩甲骨から突く、

・蹴りの場合は骨盤から蹴る ということになります。

試割りでも、正拳よりもエンピ、エンピよりも手刀のほうが割れやすい。

それは手刀が肩甲骨を使いやすい動きをするからです。

 人間は手を器用に使える動物なので、手を動かす時にどうしても手そのもので

動かしてしまいます。肩甲骨から動かせと言われても、なかなかできません。

ヒジと肩甲骨は、広背筋で連動しています。

つまり、ヒジを引けば必ず肩甲骨が動く。基本稽古で突きや手刀を打つ時に、

反対側の手を引きますが、この「引き手」は肩甲骨を使うためにつくられたもので

あると考えられます。手で打つという癖を修正するためにも、基本稽古はとても

重要な稽古法ということです。

また、十字を切る動作も、耳の高さから切ると必ず肩甲骨が動く。

このように、意味がわかりにくい動作の一つひとつにも、必ず意味があります。

「三戦」「転掌」という高段者向けの型がありますが、これらの型では、骨の動きや、

この後に説明する呼吸法など人間の体の根本的な原理を知ることができます。

私は型の三戦がはじめにあり、そこから基本稽古ができたと考えています。

型の三戦が難しいので、基本稽古で練ろうということです。

 肩甲骨を動かす時に力は必要ありません。金槌の理論は、骨で突く、蹴ると

いう理論なので、筋肉はただの伝達機能にしか過ぎないのです。

空手の突きとボクシングのパンチの違いは、そこにあります。引き手のないボクシング

のパンチは、手で打つという発想に近い。だから、ある程度の年齢を重ねて筋力が

衰えると、威力も落ちてしまいます。

 私も昔は突きを手で打っていたし、蹴りは足で蹴っていました。その癖を基本稽古で

取ろうとしています。現在、稽古や型で骨から動かすことはできるようになりました。

しかし、無意識に骨で動かせるレベルには至っていません。

 毎年、私は東北大会で”バット斬り”の演武に挑戦しています。

金槌の理論の通りにできれば、「折る」のではなく「斬る」ことが可能だからです。

しかし、なかなかうまく斬ることができません。折るのと斬るのはまったく違います。

斬るというのは、手ごたえが何もない。斬ったほうも、持っている人間も「失敗した」

と感じてしまうくらいスパッといくものです。

 無意識で肩甲骨や骨盤で打てるようになれば、当然のことながら組手にも生き

てきます。相手の体に当たるだけでダメージを与えることができます。

極端に言うなら、急所を狙う必要も、カウンターを取る必要もなくなります。

人間にはそのくらい大きな可能性が秘められていると私は思い、日々稽古をして

います。

■横隔膜を落とす

 骨で動かすこととともに重要なのが、丹田から力を出すことです。

丹田とは、ヘソから握り拳一つぶん下のところを指します。

突きや蹴りを打つ際に丹田使うと、まったく違ったものになります。

 つまり、丹田は発電所の役割を果たします。丹田から力を出すためには、

横隔膜を落とす必要があります。

この時に使う呼吸法が、腹式呼吸と逆腹式呼吸です。

 腹式呼吸とは息を吸う時にお腹を膨らませ、息を吐く時にへこませる呼吸法です。

逆腹式呼吸はその逆で、息を吸うときにお腹をへこませ、吐く時に膨らませ

ます。これらの呼吸法を行うことで、「腹を練る」ことができます。

 女性が子供を産む時は、マラーズ法という呼吸をしますが、これも腹式呼吸です。

横隔膜を落としていくことで、子供を体外に出しやすくします。男性はそれを稽古

しないと習得できませんが、女性は生命活動として行っています。

だから女性はすごい。力を発揮するために大切な呼吸法を、本能で行っているのです。

 空手の稽古には息吹がありますが、これは腹式呼吸で吸って逆腹式呼吸で吐く

呼吸法です。すると、吸う時も吐く時も、どちらも横隔膜が落ちた状態になります。

吸った時にカウンターで腹に打撃をもらっても、横隔膜が落ちている(腹に圧がかかっ

ている)ので、効きにくくなります。また、技を出す時にも、受ける時にも吐くことを心が

けると、あらゆる技にプラスの効果が現れます。

筋肉重視の志向で稽古していくと、一番力が出るのは呼吸を止めた時になります。

しかし、技を出しているうちに息が上がってしまうのは、息を止めて動いていることが

原因です。息を吐きながら技を出せば息は上がりません。

 また、型をしっかり稽古すると、息を吐く稽古ができます。

「五十四歩」や「観空」のような長い型が終わった時に、息が乱れていないか確認

してみてください。乱れていなければ、しっかり吐きながらできていると考えていいでしょう。

 横隔膜を落とすために一番簡単なのは、肛門を締めることです。

ヨガでも同じように教えていますが、それも横隔膜を落とすためだと思われます。

不動立ちで立つと横隔膜を落としやすく、三戦立ちの場合は落としにくいことがわかります。

横隔膜を落としにくい三戦立ちで息吹をすることで、腹を練ることができるようになります。

 武道というのは、50歳になっても60歳になっても闘えるのが理想です。

その前提に立った時に、力がなければいけません。私は、その力が横隔膜から生み出さ

れるものと考えています。その横隔膜は心臓と同じで生まれてから死ぬまで動き続けるの

で、鍛える必要がありません。

 食事や水分を摂らなくても、何日かは生きることができます。

しかし、呼吸は10分止めただけでも死につながります。

空手がスゴイと感じるところは、生きるために最も大事な呼吸

が稽古体系の中に含まれているところです。

■三角形の理論

横隔膜を落とすと、それによって腹膣も下がっていき、骨盤にぶつかります。

骨盤にぶつかった腹膣は、前後左右、とくに前部に出ます。腹式呼吸で息を吸った

時にお腹が膨らむのは、そのためです。「ひさご腹」という下腹部がぽっこりと出た体型

がありますが、まさにそれです。

 腹式呼吸では、腹を出すことだけでなく、腕や肩の力を抜いて、リラックスすることを

意識してください。腹が出ること以外にも、力を抜くことで、なで肩になります。

つまり、三角形のように、上が細く、下が広がった体型になります。横隔膜を落として

呼吸しているかどうかは、体型にも現れてくるのです。

 相撲取りは三角形の体型をしています。仏像などを見ても、腹が出ているものが

多いです。昔の日本人の理想的な体型は、三角形であることがわかります。

また、建物もピラミッドのように底辺がしっかりしていると安定します。三角形という

のは、地球に合っている形だと言えるでしょう。お釈迦様がなぜ悟りを開くことができた

のか。それは呼吸にも関係してくると思います。お釈迦様の呼吸も、吐く呼吸だったと

言われてます。それが仏像などに三角形の体型として残されてきたのではないでしょうか。

 人間は二足歩行になったことで頭部が大きくなり、脳が発達してきました。

しかし、これは悪い言い方をすれば、「頭でっかち」になったということです。

さらに、筋肉をつけていけばいくほど、上が広くて下が細い逆三角形になっていきます。

 たしかに、筋肉を鍛えれば短期間で強くなることは可能です。しかし、年齢を重ねて

からは、その状態を維持するのが難しくなります。スポーツ競技ならそれで問題ないの

かもしれませんが、実戦も想定した武術としての観点で考えていくと、それだけでは

まずいわけです。

 私は四股も踏みますが、骨盤で体重を下に落とすイメージで、丹田に力を入れる

ようにして踏みます。それは足腰を鍛えるだけではなく、骨盤と腹を練るためです。

「火事場の馬鹿力」という言葉があります。

非常事態になった時に、日常生活では発揮できないような力を発揮することです。

おそらく、この力は筋肉の量や太さとは関係がありません。丹田から生み出される力

だと思います。火事場の馬鹿力を日常的に発揮できるようにするためには、呼吸を

コントロールすることが不可欠だと思います。

 体が三角形になると、肉体面だけでなく、精神面も安定しやすくなります。

これは腹式呼吸によって自律神経をコントロールすることができ、生命エネルギーも

高められるという効果があるからです。日常生活においても、リラックスした状態で

過ごすことができるようになります。三角形であることが、いかに自然の原理に沿った

ものであるかがわかります。

※呼吸を止めて歯を食いしばると肩に力が入り、不自然な逆三角形となる

※丹田から力を出すことを重視した考え方では、三角形 が理想的な体型となる

■現代社会における「武」としての空手

自身の身体操作論を証明するために、56歳になってなお、試合や演武に

挑戦し続ける三瓶師範。その考え方の根底にあるものは、社会の仕組み

や人間の可能性にまで及んでいる。

自動車のドライバー>

 私が今の稽古体系を追求しはじめたのは、40歳からです。

 私は人間を自動車に例えて考えています。

自動車はドライバーがいなければ動きません。

ドライバーと自動車が一緒になっているのが人間なのです。

 ドライバーは何なのか。脳と考える人が多いですが、

私は、脳は装置でしかないと思います。では、ドライバーは何か。私は、それこそが

魂ではないかと考えています。私は10歳の頃から「人はなぜ死ぬのか」ということを

考えながら生きてきました。

道場生には「私は肉体的にも素質はそんなになかった。

何が違うかといったら、そばに死があったことだ」と言っています。

 その魂はどこにあるのかというと、それが腹ではないか。

昔から「腹黒い」「腹から笑う」「腹を立てる」といった言葉が残っているのは、そのた

めではないかと思います。

それを確かめたいという思いがあり、35歳の時に、100人組手に挑戦しました。

 体は道具でしかない。たとえば足をタイヤだと思えば痛くありません。

体が自分そのものだと思っているから痛いと感じてします。足が動かなくなって、

手も動かなくなって、ボディを潰して、エンジンも動かなくなった時に、どこがドライバー

なのかわかるのではないかと思ったからです。

 100人組手が終わってから、医師や整体師の方々から

「100しかないものを150使っている。こんなハードなことを続けていたら、死んで

しまいます」と言われました。周囲の勧めもあり、それからしばらく稽古を休みましたが、

逆に体のあちこちに故障が出てくるようになり、3年近くそのような状態が続きました。

自分で証明しなければいけない>

 私は18歳で空手をはじめた時、「武」としての空手を追求したかった。

しかし、大会で勝つために、試合ようの稽古だけをやってきていました。そこで40歳

の時に原点に帰るために、なぜ基本稽古があるのか、三戦や前屈立ちがあるのかを、

考え直しました。

 一つひとつを納得するまで稽古して、いろいろな人たちと話をしたり、本を読んだり

したことで、だんだんとわかってきました。頭だけでなく、体でも納得できるようになった

のが、48歳。8年かかりました。

 それらのことは、若い時に言われても理解できなかったと思います。理論をしゃべる

だけでは説得力がないし、昔の達人の話をしても、それは物語でしかありません。

だからこそ自分で証明しないといけないと感じました。

100人組手以降、一度も組手はしていませんでしたが、試合で使えないものは

偽物だと思うので、48歳から試合に出るようにしました。

 スポーツ選手は、ほとんどの場合が30歳くらいで引退してしまいます。

しかし、じつはそこから先がおもしろい。哲学や音楽、絵画などは、年齢を重ねていく

につれて深みが出て来ます。私は、空手も同じだと思います。

生活の生まれた身体操作>

 昔の人たちの生活は肉体労働が主でしたから、当然、力が必要でした。

農夫は60kgある米俵を両肩に担いだりしていたくらいです。

 しかし、彼らが筋骨隆々の体をしているかと言ったら、そんなことはない。

ウエイトトレーニングをやっていたわけでもない。現代人はベンチプレスで120kgを

持ち上げられても、米俵を2表担いで歩ける人は少ないのではないでしょうか。

昔の人たちは、生活をしていく中で、力を発揮する術を身につけていたのだと思い

ます。

 また、戦のように生死に関わる闘いもありました。年を取っているから闘えません

とは言えない状況だったわけです。自分の肉体が衰えてくるのはわかる。

でも、死ぬわけにはいかない。

生きるために闘わなければならなかったからこそ、体の使い方は「骨」の領域まで

発展したし丹田を使った呼吸法も発見できた。

そういった流れがあって、空手の稽古体系はつくられていったのだと思います。

 三戦立ちや前屈立ち、騎馬立ちといった立ち方で闘うことは、まずありません。

しかし、腹を練ることや、骨盤の動きなど、体の根本を理解するためには、

もっとも適した稽古法です。

逆三角形の社会>

 筋肉志向に変わっていったのは、明治時代に入って、スポーツ文化が入ってきて

からではないでしょうか。骨も横隔膜も目に見えないものですが、筋肉はわかりやすく、

比較的短期間で強くなりやすいものです。

 しかし、前ページでも述べたように、筋肉に頼れば頼るほど体は逆三角形になって

いきます。多くの動物は1日で立てなかったら、死んでしまいます。しかし、人間だけ

は立ちあがって歩くまでに1年かかります。それだけ頭でっかちになっているということです。

 今は社会全体が逆三角形になっています。外にでると、犯罪に巻き込まれるかも

しれないから、家の中で遊ぶ子供たちが多い。部屋で暴れるわけにはいきませんから、

テレビを見たり、ゲームをするしかない。本来は子供の頃から体をうごかさないと

いけません。道場生の子たちに言うのは、足を鍛えろということです。

試合の勝ち負けも大事だけど、週1回でもいいから足腰を鍛えることが大事だと。

 今の子供たちは、体を使う機会が少ないから、体が逆三角形のままです。

足腰が弱い、つまり、肉体的に折れやすい。「キレる」というのは、そういうことだと思います。

 昔も親子ゲンカや兄弟ゲンカはありましたが、殺すという発想にはなりません。

それは遊びがあったからだと思います。昔は親子ゲンカをしても、家出をするくらいで終

わっていました。家を飛び出したのはいいけど、金がないから帰ってきたり(笑)。

頭でっかちになっている社会だからこそ、三角形の理論が必要とされているのではないか

と感じています。

56歳になっても、高まっている>

 人間は、大いなる可能性を秘めている生き物だと思います。そこに哲学や芸術

からアプローチする人もいますが、私は空手という肉体的なジャンルから入りました。

 50歳を過ぎてから、空手というものが本当におもしろいと思うようになりました。

今の空手を追及しはじめた頃は、間違えたものを選んだのではないかと不安に

なったこともあります。20代、30代を空手に打ち込んできたのに、ここにきてこれ

ほどに結果が見えにくいものを続けていて大丈夫なのかと。

でも、40代に入ってから、少しづつ理解できるようになってきました。

 今は1年に一度、演武や試合をして、自分がどのくらい伸びているのかを確認

しています。今、私は56歳ですが、まだ伸びしろを感じているから続けています。

落ちていないから、稽古していて楽しいし、若い時より体も柔軟で四股も上がる。

ただ、それは意識してやっているからできること。

無意識でできるようにするのが目標です。

私はまだまだ高まりたいし、高まるものがあると信じています。

だから、これからも空手を続けていこうと思うものです。

※三瓶道場の神前には金槌が置かれている。

 「金槌の理論」が三瓶師範の提唱する理論の最も基本となるものであることがわかる

※三瓶師範のモットーである「百事如意」。

 「思ったことは実現する」という意味

※東北大会の演武では、”バット斬り”に毎年挑戦している。

  強さの追求は続く

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新極真会 空手LIFE No.114 2021.7-8より

極真の道 福島支部 三瓶啓二支部長